発表原稿
「次は、君の番だ。」と、佐藤さんに背中をおされて発表することになりました。うまく、15分という時間で収まるかどうかや、やったことがないので自信がないということで、みなさんに、自分の思っていることやしゃべっていることがつたわるかがわかりません。けれども、やらんとはじまらんのではじめます。皆さんよろしくお願いいたします。
弊社は、工作機械の販売商社で新品機械と中古機械が主な取扱商品であります。またそれに付属する工具・機器関係もセットで販売いたしております。特に強いメーカーは、森精機・シチズン・山崎技研で各販売店会で近畿地方では上位にランクされています。
現在創業21年目、創業と同時に株式会社にしましたので、21期目になります。当初資本金300万で、地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅前の貸しビルの1室で開業し今に至ります。
みなさんも、天王寺にこられたときは、一度のぞいてください。
さて、私自身のことですが左利きでして、思考回路が普通のことと相反することを同時に変換してしまいます。たとえば、ゴルフでキャディさんが、「このラインはスライスです」と言ったら右利きの人にとってスライスで左利きにしてみればフックだな。みなさん、わかります?当然左利きの人間はフックにならざるをえんわけです。 こういうことが違和感無しに、受け入れて思考してしまうのが左利きの特性と最近自分勝手に理解しています。この思考はおおいに現在の経営にでているのかなと気付きました。これからお話しする中で、特に税金と金利相反することを自分なりに理解して、自分なりの方向性を決めているところは、左利きの特性がでているのかなと思います。
相反することを考えるもう一例として、交通渋滞に巻き込まれたらそのままの流れについていく人が大半だと思いますが、私は必ずわき道にそれて目的地に行こうとします。たとえ目的地に着くのが同時だとしても、それは私にとって脇道で見たことすべて新しい発見であり経験で後悔することはありません。
もう一例あげますと、映画館で火災が発生したとき、みんな一方向に逃げると思います。私は必ず逆方向に逃げることにしています。
まあ、こういう思考回路ですから、当然不景気なんて、ピンチじゃなくてチャンスやんと思うわけですから。佐藤さんに経営の悩みを言いなさいとか言われてもないのであります。
さて、上商の歴史ですが大別すると設立から14年目までと、それ以降に分かれます。
私は当初の14年間は税金払いたくない金利払いたくないと思っていました。この2点縛りで会社を運営するのですから、当然のことのように運転資金が少なく縮小経済でジリ貧の道になるわけです。そんなことも気にせずにいたので従業員よりも役員報酬が安いときもありました。けど自分では健全経営だ。借金してないしという思いがいつもあって、夜な夜な従業員と一緒に飲み友達として遊んでいました。そうやって遊んでいると税務調査があって税務署員にこれは福利厚生費ですと主張したのにもかかわらず、いやいや金額が大きいので交際費です。と税務署員に言われて税金を取られたときはしょげました。
合算すると、400万を遥かに超えていることによる課税でした。
しかし、転機が訪れました。私の老化現象、老眼が45歳で急にやってきました。なにをするにもめがねを、取ったりはずしたり、行動力がにぶったことが転機になりました。いつまでも何でもかんでも自分でできると思っていたことが、急に不安になりました。そこで、それまで、営業マン一人、パートさん一人体制から、もう一人営業マンを増やすことと組織化をすすめることにしました。その時に税金を払うか金利を払うかの問題が、当然のごとく立ちはだかりました。私は税金を払うことにしました。もう少しわかりやすくいいますと、
人一人分増えると当然のごとく運転資金も増大します。その算段を利益を出して税金を払った後のお金を運転資金にするか、銀行借入による運転資金の増大をとるかにせまられました。もうひとつは増資というてもありましたがそれはそのとききづきませんでした。結局税金を払うほうをとりました。理由は税金は一回我慢をして払うとあとは自己資金になるということと、銀行金利は土曜日曜とわず金利をずっと払い続けなければならないということです。スピードを1年速めてすぐに従業員をいれるのであれば銀行借入は必要であったかもしれませんが、私は1年我慢して税金を払った後に募集をおこないました。
大きな転機になったと思います、だからそれまで決算前に抑制していた売上げはどんどん伸ばす利益もきにせずどんどん期末税金対策のお金の無駄遣いもなしに、利益をだして、内部留保を貯めることによって自己資本比率を上げることにしました。当然のごとく翌年の税金は、40%を払い中間納税20%を払い、残りを運転資金となり、新しい営業マンを一人入れる決断をしました。
それで、ハローワークに行き、募集を始めましたが、5人ほど来てはやめての繰り返しでした。それでもめげずに募集を続けました。そうこうするうちにパートの事務員さんが、やめることになり、先に正社員の事務員さんを入れなければなくなりました。今までの事務員さんにないものを持っている人を採用したいという一心で、面接を繰り返しました。
たまたまだったのですが、エクセル ワードの使いこなせる人にめぐりあえました。ここまでやってくれるとは思ってはいませんでいた。まだまだ潜在能力はある人だと思います。やってくれていることは、営業の効率化をエクセルで可能にしてくれました。収益面においては、おおいに、いろんな管理簿をつくってくれて、数値化の好きな私にいろいろな数字を提供してくれています。この事務員さんは、疲れた営業マンをやる気にさせてくれたり、回復呪文をつかってくれたりして活躍してくれています。
続けさまに、営業マンの募集を続けていましたのて゛、その面接に早速事務員さんの能力がはっきされました。面接した後に、客観的に聞いていてどうだった?と聞いてみると
今までの自分の判断では、普通ぐらいかなと思っていたことが、あの人はこうこうで、こうだからすぐ電話をかけて、2回目の面接を早くしたほうがいいとアドバイスをくれました、その時に面接した人が今やうちのホープの営業マンの一人です。
みんなやってくれるので、おもしろいからまたやるの繰り返しになるんだなー、人は財産なんだと思います。人の組み合わせによっても人は能力を発揮したりするんだなーとつくづく思います。
さて、新人の営業マンが入ると営業面に力をいれなければなりません。その営業マンのユーザーの確保のため、どうすべきかを数値化しました。もともと数値化するのが性格上すきでしたのでそうなりました。
データ分析による経験的数値から、なにもしなければ年2割のユーザーが失う。これをもとになにをしなければならないか? を考えました。単純に答えは、それ以上に増やせばいいという結論になりどうするかの答えは、単純に飛込み営業でした。 もともと私は証券マンでしたから、飛込み営業はまったく違和感無しに出来ます。今も飛込みは好きです。経営者でなければ続けてると思います。うちの営業マンはたぶん今は飛込みは好きになっていると思います。
今年十一年目の営業マンは、入社当時はルート営業だと思って入社しました。まさかとびこみ営業させられるとは思いませんでした。と最初はブツブツぼやいていました。いっしょに飛込んでやることによって、見込み客がこうしてできるのた゛とわかってくれて、そこからがルート営業やでーと言ったら納得してくれました。
ハングリーな営業経験をさせることによって、営業のおもしろさを教えれたと思っています。 いつも彼にいうことは、飛込み営業できるやつが営業マンであってそれ以外は単なる御用聞きやといっています。
その彼が一人前になりだしたのが入社してから8年ほどたったころです。その彼は二人目の営業マンを育ててくれました。その二人目の彼が、今三人目の営業マンを育てているところです。
最近は一人目の彼が、最近紹介をちょこちょこもらうようになってきたのですが、紹介ってありがたいことやと、しみじみといっておりますそれを私が聞いて、かなり営業マンとしての経験値があがったと思います。
さて、もうひとつ経験的数値では、他社機械営業は、普通1日、5件くらい、それから工具営業は1日20件まわることが平均的ですが、飛び込み営業になりますと1日20件くらいは、いけるんです。そのうち、名刺をもらえるのが5件くらい、そのうちの2件くらいが見込み客になります。
見込客データをエクセルに落とし込む作業をして、新たな経験的数値をみつけます。
ふつう機械販売の一人当たりの顧客数は50件程度ですが、1日の訪問件数をあげることによって、200件としました。さきほどいいましたように年2割のユーザーが減るから40件以上をつねに増やす努力が必要となってくるわけです。きびしくうつるかもしれませんが、ユーザー一軒一軒の距離がエクセルとナビゲーションを駆使して短くすることによって、車に乗って移動する時間が短いから一日20件まわることができるようになったと思われます。
また、創業当初から、経営の安定化においては、コンスタント(継続的)なものと、スポット(一時的)なものを区別し、不景気なときに安定収入を得られるように継続的なものに力をいれて経営しました。うちの会社においては、コンスタントな商品にくべつされるものというのは、部品加工です。一度決まれば毎月注文がでる性質の商品です。また、工具もあるのですが価格競争に巻き込まれることと、対人数効果によって競争力がうまれることがわかっていますので、今は積極的に取り扱っていません。
スポットな商品としては工作機械があげられます。今ではスポットと思われていた工作機械が、コンスタント商品へと変わりました。それで、部品加工分野を分社化し、鰹繽、テクノという会社を2年前に作りました。
工作機械販売がなぜ安定化コンスタント化したかと言いますと、営業力のアップのおかげだと思います。それと一人当たりのユーザー件数200件の目標と時間のあいているときは飛び込みを繰り返すその活性化がコンスタントに売れる要因になったと思います。
それと取扱商品が増えたということです。とくに中古機械は不景気に対抗できる商品になっていると思います。景気のよいとき景気の悪いときに売れる商品やユーザーがわかったということでしょうか。